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志布志往来記(2)~松山城址・庭園・道の駅すえよし

1. 松山城址
道の駅松山から車で移動してすぐのところに、松山城址(場所:松山町新橋松尾)がありました。

私がこれまで見てきた日本のお城(又はお城の址)は、鶴丸城(現黎明館、鹿児島県立図書館)、江戸城(現皇居)、大坂城(ただし、大阪城公園近くに行ったのみ)、岸和田城(岸和田市)、二条城(京都市)、仙台城(仙台市)、松本城(松本市)だけであり、大隅半島にあるお城の址を見るのは、今回が初めてです。
志布志市教育委員会のご説明によると、松山城は、文治4年(1188年)に、平清盛の弟頼盛の孫である、隠岐守重頼が松山に来て松山城を築いたという記録が残っているそうです。
平重頼が松山に来て松山城を築いた文治4年(1188年)は、源義経が平氏一門との海戦を行った、壇の浦の戦い(文治元(1185)年3月)と、源頼朝によって名実ともに鎌倉幕府が設立された時期(建久3(1192)年7月)との間の時期ですので、平重頼は、志布志松山に城を築き、平氏一門の権勢回復を志したのかもしれない、と思いました。
その後、松山城は、島津氏や肝属氏などの勢力争いの舞台となり、最終的には、島津氏の直轄地となったそうです。
勉強になったなあ、という思いを抱きながら、二の丸跡の方へ向かいました。

松山城址へ

お城を見に行こうとしていたら、偶然、護国神社があるとの案内を見付けました(なお、私が、鹿児島市下福元町にある谷山神社に行った時に、偶然、「大勲位公爵松方正義頌徳碑」を拝見し、谷山護国神社にも足を運んだことは、記憶に新しいところです。詳細は、7月2日のブログ記事をご参照ください。)。
せっかくですので、ここでもお参りをしてきました。

松山城址 護国神社(2)

護国神社でのお参りを済ませ、お城はどこにあるのかと思っていたら、お城の頂上を発見しました!

松山城址頂上

階段を上って、お城の近くまで行ってみました。

松山城址へ

お城の近くに、「水道竣工記念碑」がありました。松山城近くを松尾川という川が流れていたので、この川に関わる水道工事が行われたのだと思いました。
水道を完成させたことで、松山町を将来にわたって「理想郷」としたいとする松山町長の思いが伝わってきました。

水道竣工記念碑

松山城は、中にらせん状の階段があって、頂上にまで登ることができました。
幾重もの階段を上って、松山城の頂上に到着しました。
松山城の頂上から見た、緑豊かな志布志市、曽於市の様子です。

松山城からの眺め(1)松山城からの眺め(2)松山城からの眺め(3)松山城からの眺め(4)

 

2. 庭園
松山城をあとにして、庭園に行ってみました。

松山城からの庭園へ

庭園にたどり着くまで、木々や竹林が生い茂る、細くて急な坂道が長く続きました。この長い坂道を下りたところに、庭園を見付けました。歴代の城主たちが、ここで日頃の労を癒したのかもしれない、と思いました。
庭園の近くを、松尾川が流れていました。きれいな水と環境を大事にし続けてほしい、と思いました。

松尾川(1)松尾川(2)

庭園から降りてすぐのところに、志布志市役所松山支所がありました。
山を一つ越えて、街まで出てきたのだなあと感じました。

庭園から街へ

松山城庭園を満喫して、車を停めた駐車場まで戻ることにしました。

庭園から戻る坂道

急な坂道を戻り切ったころには、夏の暑さも手伝って汗でいっぱいになりました。
駐車場近くの公園から見たプールが、とても涼しげに見えました。

城山総合公園近くプール

3. 道の駅すえよし
曽於市近くまで来たので、この日は陸回りで鹿児島まで戻ることにしました。
高速道路に乗る手前のところに、「道の駅すえよし」があったので、立ち寄ることにしました。

地元名産の農産物、製品、商品がたくさん販売されていました。
お土産に、そうめん、ゆずのめんつゆ、ピーマン、トマト、きゅうり、はちみつを買いました。
志布志市と曽於市で購入したたくさんのお土産を手に携えて、事務所(鹿児島市東千石町)まで帰ってきました。
この日1日で買ったお土産を事務所の机の上に並べてみると、まさに壮観ともいうべき様子で、自然の恵みをたくさん頂いた思いになりました。

お土産(2)

このお土産のうち、「さくらはちみつ」は自宅に持ち帰り、その他のお土産は、全て両親にプレゼントしました。とても喜んでもらえました。
この日は鹿児島を起点に、桜島、志布志、曽於、鹿児島と、錦江湾をまたにかけて、ぐるり鹿児島を一周しました。
また志布志に仕事や遊びに行きたいと思いました。

鹿児島シティ法律事務所 弁護士 萩原隆志